『チェーホフの学校』黒川創

今までの連作のなかでは、もっとも何が書きたいのかつかみ辛かった小説。そもそもチェーホフをよく知らない人が読んでも分からないものだったのか。
それとも子どもたちが日常的にガイガーカウンターをもって生活している光景をとくに異常とも悲劇とも思えない人が読んでも分からないものなのか。(日焼けが皮膚ガンを引き起こすから皆日傘を指す光景は、以前はなかったかもしれないが、とくに異常とも思えない。)
あるいは、ある家族の崩壊のはなし。たしかに避難区域に指定された地域やその周辺にとっては悲劇だろうが、必要以上に女親が恐れて離れ離れに暮らすうちに心まで離れたという家族の崩壊にはとくに心が動かない。そんな人間が読むべきではなかったのか。
そもそもこれだけのことが起こって、「野や山を駆けずり回る子ども」みたいなステロタイプな光景を「かつての(事故前の)当たり前の光景」として対置するのがどうにも理解できないんだ。なんだいまさら。仮構でしかない当たり前だったからこそ、こういうことが起こったんではないのか。