『迷宮』中村文則

前にこの作家のものを読んだときはサスペンス風なところがあったけど、今回は密室殺人ですと。どういう意図があるんだろう。退屈な主題に飽きさせないように読者を引っ張るものとして導入? たまたまビデオ装置に詳しい人と奥さんが親しかったとか驚くような都合の良さで、読者をワクワクさせるというよりウンザリさせるだけのように思えるんだが。こんな完成度の低い密室殺人て、下手したらミステリー系をバカにしてないか、とすら思える。
で、相変わらず犯罪だのエロだのが出てくるのだが、どれもこれも、誰のものの、切実さを感じず、ただ思わせぶりなだけ。
たとえば発端からして、美人過ぎる妻にたいして、不細工な夫がいて、で夫は妻は自分には釣り合わないくらい美人だからいつか妻は浮気する、だから行動見張っちゃう、自転車こわしちゃう。って、なんじゃそりゃ。容姿に引け目を感じてりゃ、かえって自由にさせるくらいのもんじゃないの?自分に付き合ってもらってるくらいの心持だろうから。いやいや、普通ばっかでもつまらないか。ごくごくまれにこういう特異な行動があってもいいけど、説得力がないんだよなあ。
そんななかで唯一切実さらしきものをやや感じさせるのが、主人公青年の、夢を見ろといってたと思えば今度は小さく生きろって振り回すのもいい加減にしろっていう世の中に対する呪詛。
それにしても、思ったほど共感しない。なんか教科書的なありふれた不満すぎるというのがひとつ。せっかく文学なんだから、個々の顔が見えてくるような感じが欲しかった。それに、「ピュアな自分VS邪悪な世界」ていう幼さも、もういいやっていうか。こんなピュアな奴って実際いるのか、とも言いたくなるけど、まあいい。確かにこんな奴も居るだろう。しかしそれをなぞって書いてなんになるんだろう。私としては、もうこういうのは分かった、さんざんやった、問題はその向こうなんだ、というふうに思うんだよな。
たとえば、言いたい事をことごとく飲み込んでしまったりとか、そうしたくないのにやっている自分を嫌悪しているようにしか描かないが、こういうところなんか、せっかく自我が社会化しかかっているとさえいえるのに。このへんの記述のせっかくの面白さをなぜ生かさなかったんだろう。
総じて、主人公=作者だとすればあまりに幼いし、でないとすれば巷の若者を低く見積もりすぎた感じが拭えない。ふだん純文学など読まない人からならこんなんでも共感得ることも出来るかもしれないが、それが狙いなんだろうか。
ところで、途中で主人公が、原発事故について、これまで恩恵受けてたんだからみんなに罪があるという意見を馬鹿げてるとか言うが、馬鹿げたもなにもそんな一方的な意見など聞いたこともない。まあ、こういうふうに何でも後ろ向きに考えるふうに主人公を作っただけなんだろうが。ちなみに、もしも、罪がこれっぽっちもないと言うならば、そっちこそまったく馬鹿げた意見である事は言うまでもない。