『文學界』 2011.8 読切作品

ヒップアップにいいというスクワットのやり方があるのを最近知って、新年早々はじめています。


さて正月気分もすっかり消え去って書くような事でもないかもしれませんが、例年とそうたいして違わないクリスマスの街のライトアップを見て、おいおいこれが原発事故起こした国の風景かよ、と思ったのは私だけでしょうか?
原発の多くが運転できなくなって代替火力がフル活動状態で、非常事態とは言わずとも異常事態は続行中なんですけど、なんかこれでいいんじゃないの、このままいけばみたいな雰囲気がチラホラ。私が関わってるところの従業員トイレなんか使ったらすぐ電気消したものですが、最近はわりと点けっぱなしだし。つーか、商業施設ならまだ仕方ないにしても、個人宅でライトアップしてる人が今年もいるとは。花見だの宴会だのを自粛していたのに比べてのこの落差は、原発事故は収束している状態以外の何物でもありません。
都合よく政府や国を攻撃していれば解決するとでも思ってるかのような人は、ストレスが顔に出やすい野田氏が「収束宣言」を出したことによく文句をいいますが、私には、むしろ国民のほうが率先して収束させているような気もします。
よくこの国民にしてこの政治家という言い方がされますが、この国民にして原発あり、ですね。あの日、東電がわるいなんて誰がいえよーか、と思いながらそそくさと街を歩いておったとです。


ところで、これだけの事故を起こした国がトルコやインドやベトナム原発輸出をしようとしていることに関しても、ときおり批判がよせられますが、別に日本がごり押ししているわけでも無さそうなのが興味深いですね。
ようは、輸入国側の経済成長と、原油価格の高騰がそこまで急ピッチっでやむにやまれずという事なんだろうと思いますが、別段日本がごり押ししているわけではないと見るや、輸入国政府まで批判する人たちがいるのには呆れます。"途上国ではよくない政治が行われている"的なこの手の上から目線はきっと当然のごとく脱原発をいち早く表明したドイツあたりを賞賛の目でみるのでしょうが、私は、ドイツとインドにあらかじめ横たわっている差の方が気になります。フクシマを引き起こした都市と地方の差がここでも反復されているような。


芥川賞が決定したようですが、最近そういう内部の出来事に興味を失いつつあって、両方(かた)ともおめでとうございますかつては悪口いってすみません、すみませんじゃすまないかもしれませんがすみません以外の感想はあまりありません。
これから書く文學界なんか、絲山先生・・・・・いや師事しているわけではないのでこの呼び方はまずいけどついそう言いたくなってしまう絲山秋子氏の新連載と、綿矢・金原対談が載っているのをつい最近知ったとです。