『群像』 2011.9 読切作品その1

自作の唐揚げでケンタッキーが再現できないと以前ぼやきましたが、価格が倍以上もするブランド鶏肉使ったら結構近づきました。そういうことだったんでしょうか? といいつつ今日は激安店で(100)グラム29円の胸肉を買ってきたのですが。


青山七恵さんの連載をとってきた事に敬意を表して、「すばる」を11月号から買うことに致しました。


で、同じ号では新人賞にあたるすばる文学賞も発表されていて、その選評やちょっとしたコラムなどもパラパラと眺めていたのですが、未だになぜ「すばる」に連載されているのかが今ひとつ分からないこだま和文氏のコラムで、放射性物質の暫定基準値500ベクレル/キロについて、はたしていかなる根拠をもった数値なのだろう、とか書かれていますね。
なんか文章からは不安が伝わってくるのですが、オレはもう放射能なんて屁でもないんだどうせそのうち死ぬんだからという人ならともかく、不安に思うような人が、どうしてこういう事を自分で調べようとしないのか不思議です。それとも調べたうえでオカシイ、異常だとか思っているんでしょうか?
暫定規制値というのを、「暫定」という言葉から"事故が起こったから暫定的に上げてしまおう"と思った人が結構いるみたいですが、基本的には、"今のままだと何にも基準がないから暫定的に基準を定めそれを上回ったモノは出荷停止にしなきゃヤバイ"って事で定まったものと考えているんですが、これ間違ってますかね?
守るためのものですよね。いや産業をではなく国民の健康を。たとえ暫定であっても基準がなかったら大変なことになっていたと思います。
でその基準値自体も国際機関が出している年間許容量からを計算しているはずで、事故以前の輸入食品の規制値である370ベクレルと比べてもそんな突拍子もない数字ではないですし、今の日本の暫定基準値を、WHOをはじめどこかの機関が問題にしたという話も聞きません。
まあ平時基準でないのは確かですし、低レベル被爆について確定的なことが何もいえないのも確かですから、もっと暫定基準を厳しくすればというのもひとつの理屈ですが、それで東日本のスーパーの棚からモノが消えて、で食物全量を西日本や外国に頼って価格が高騰したりしたら、なんとも申し訳ないように思います。これはつまり風評どうのこうの以上に問題になる可能性があるわけで、世には被害を弁償したくないから流通できないものも流しているという穿った見方もなるようですが、野菜が高騰したり手に入らなくなったりしたら、貧乏人の健康はどうなるのか、と。私みたいに大根は100円未満でないとまず買わない人とか。とそれは半分冗談にしても、昨今の国際的な食料価格の高騰でいちばん困ってきたのは貧しい国の人であるという現実もあるわけで。むろん、たかだか日本の東側の需要が世界の価格をかき回すことはなくても、国内レベルでは同様のことが起きないとも限らない。

それでも、肉や野菜はともかく、水産物を不安に思う気持ちは分からなくはないです。地表のものは雨とかで巡りめぐって海ですからね。
私は、最近安くなっているイワシとかを閉店間際のスーパーで更に安く手に入れ、捌いて酢に漬けて一週間くらいかけてガンガン食べてますが。ムネ肉ばかりでは流石に飽きるので。
まあこれだけイワシでDHA取っても頭が悪いというのは、もとがどれだけ悪いんだよって話になって悲しいですが。