『甘露』水原涼

内容的には新人らしく、しかし読後感としては新人離れした素晴らしい作品ではないかこれ、といったもの。すごくないか、これ、という。
才能という言葉で片付けてしまうのは、たとえ本当に才ある人に対してであってもその努力を軽んじる言い方になりかねないので注意が必要だろうが、どうにもその言葉を使いたくなってしまう。作者が若いというのを予め頭にいれてしまったせいもあるのだろうが。
いっぽうで努力ではどうにもならないところという意味では「センス」という言葉も使われたりするんだが、「センス」という言い方はなんか適当ではないような。というのは、とくにこれといった鋭さやスマートさをこの作品には感じないからで、ごくまっとうに地味に積み上げていったという感じ。トリッキーな仕掛けもゼロだ。しかし言い換えれば、意匠に頼らない真っ向勝負といってよい。地味になんて言ってしまったが、例によって私には気づけないところで、きちんとした計算と配慮が働いているのだろう。ただそれを私がここに出せないだけだ。
で以下具体的に少し。まず書き出しというか、一人称なので語りだしとうことでもあるが、これがもっさりして余り良いようには思えない。今読み返しても、なんかいきなり結論が凡庸な比喩で述べられているという印象は変わらず、最初読んだときには少し気が進まず読み続けたものだ。
それがどの時点で引き込まれたのだろう。ほぼ一気読みするくらい引き込まれたのだが。
おそらく徐々にということなのだろう。ここには、例えばサスペンス映画やマンガなんかでよくある、受け手を引っ張るきっかけとなるような分かりやすい伏線(意味ありげな視線とか、ちょっとした違和なズレとか)はないからだ。しいて言えば、居間で姉と父が添い寝に近い状態で寝ているシーンなのだろうが、あくまでその描写は穏やかだ。穏やかな日常を描いて、同時に何か不穏当な雰囲気を孕ませる、そのやり方が上手いとしか言いようがない。こういうところに「才能」とかいいたくなるのだが、例えば夕飯を家族みなで囲んでいるときの、祖母の食事のときの全く会話に加わらない様子とか、母親の、その雰囲気にわれ関せずといった具合で残り物を主人公に勧める様子とか、描き出す対象の選択とどの程度まで描かという加減がとても良いのだろう。例の父親と姉が居間で寝ているシーンでも、主人公の内省をあえて描かないでおく。あえて、なのだ。この抑制が徐々に効いてくる。
そのようにして読者は、この後何かどうしようもないことが起こるのではないかというモヤモヤをいつのまにか抱かされ、小説に引きずり込まれていく。それには父親のウラをまったく見せないような寡黙さと、ほんの少しだけいかれてしまってその分ウラオモテがないかのような危うさをみせる姉の様子も大きく作用しているが、私はなかでも母親の描写がとくに良い、出色じゃないか、と思う。この全く何も関知していないかのように家事をこなし、主人公の現状も根掘り葉掘り問いただしたりしないような様子が、それゆえに却って何もかも知っていることを疑わせるようになっているからだ。書かないことによって書く、あるいは、表現しないことによって表現しているのだ。ここがまずすごい。そもそも主人公にとっては父親でしかなく成人してしまえばそれなりに遠くなってしまう存在だが、この母親にとっては同時に夫でもあるのだ。その男が自分の娘と何かあるのではないかくらいのことは当然気づいているだろう。女性の鋭さというのは外での浮気にも気づくくらいなのだ。それが内なのだから・・・・・・。知っていて問い詰めないのか、それともそういうことを意識から遮断するすべを何とか見につけたか・・・・・・。
夫は大学に職があるくらいだからこの母親もそれなりの学があるのだろうが、このご時世家から出てしまえば容易に食っていけるとは思えず、そういうところもあって、分かっていて知らぬ振りをして瓦解を食い止めている。そんなところまで読者は想像してしまうのだが、いや。食い止めているというのは適当ではないのかもしれない。何もしないでおけば何とはなしに続いてしまう、そんな強固さも「家族」というものいは持っているように思えるからだ。この家のようになにかのきっかけさえあれば一気に瓦解しかねないような危うさを感じさせる家族にあっても、そんな力学は働いているのではないか。
といったところで思うのは、この家族はそんなに特別なんだろうか、という事だ。そりゃ成人同士の近親相姦などどこの家族にもあることではない。どころか、特殊も特殊だ。が、誰か家族の一員が重大な病気になったり、痴呆症となったり、ポンと家を捨てるものが出たりして一気にバランスが崩れるような危うさのなかにあるのは、我々のどの家族だってそれほど変わらず、しかし同時に、決定的なことが生じないようにそれぞれが包み隠しておくような力学が働いて、それなりの強固さをもって続いてしまうのも変わらないところではないか。極端にいうなら、ここで描かれている家族は、われわれの家族でもあるのだ。そういう意味でこれは、今の家族というものを正面からみつめたまっとうな家族小説といっても良いのではないか。この小説には、書かれている以上の広がりがあるのである。
・・・などと例によって格好つけて大げさなことをかいてしまったので、以下はざっくばらんに。
この小説でもうひとつ特に良いなと思ったのは後半にかけてのサスペンスだ。というかこの小説のヤマだから小説全体を面白いと評価してここが面白いのは当たり前なんだが、主人公が家から「モノ」を集めたり、猫といろいろあったりというところ。ここは読んでいてわくわくさせられた。そしてこれらのサスペンスの結果が最終的にどうなったか・・・・・・。ここでもじつは、先ほど言った家族というもののなんとなくの強固さが示されていたりする。
そしてこの小説に出てくる猫は、母親とともにこの家族の瓦解を(結果として)食い止める一点と化しているのだが、母親とは少し違って、家族の関係のなかでの超越点として作用しているその描き方にも感心させられた。ラストもそれでよくしまっている。
ついでにもう一点。父親と姉が主人公の寝ているすぐ隣であれこれするというのをどう考えるか。否定的な選考委員もいたようだが、それまでの姉の様子を思えば、まったく無いことではないな程度には私には受け入れられるものだ。がしかしそれを覗いた主人公の行動については、後で思い出して自慰に及んでしまうのはありだとしてもこれはリアリズム的にどうかな、とは正直思ったものだ。そこまでするか。する気になるか。しかし読み終えてしまえば、主人公を安易に家族に対する外部ではなくきちんと共犯者として描いたのだから、小説的リアリズムとして許容範囲にとどまっているように私には思える。


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素晴らしい作品だったので早めにアップしたかったので書きましたが、今日はもう時間がありません。もう一作の新人賞については後日に。
(だったら感想前の日記的前置きをもっと短くしろってハナシになりますが。)