『文學界』 2010.11 読切作品ほか

またちょっと音楽の話なんですが、夜中にテレビで、ユニバーサルかなんかの、オールディーズを延々流し、その後にちょっと高くない?という値段でCDを売ろうとするCMなのか音楽番組なのか分からない番組があって、日本のフォーク特集なんかあったりすると、これが面白い。
というのは、確実に退化してるんですよ。歌詞のクオリティが。最近漫然と流していて思いました。
ああ文化というのも、ジャンルによってはこういう事もあるんだなあ、と。
けっこう前の話ですがマンガに関して、ギャグは面白いがストーリーものは年々詰まらなくなっていると指摘した人がいた記憶があって、それは、各出版社が漫画家を専属にやっていたのが流動化して、マンガ作品が全体として粗製濫造されたという原因があったように思うのですが、歌詞主体のポップスが退化してしまった原因って何なんでしょう。ちょっと思い当たりません。
(念のため書いておくと、メインストリームでない所では日本の音楽だって秀でたものが多数あるであろうことも、分かってはいるのです。)
ジャズしか聴いてないんだからいい加減日本の音楽の悪口言うのやめれや、確かに。しかし言葉というのは暴力的で、受動的な場面でもインストと違ってどうも無視できないのです。そしてAKBとかになると、これはもはや音楽ではないのでこういうのは無視できたりする。なんとも面白い。
ところで私はシノマリ、篠田真理子(あれ?真理だっけ?)だけ、あAKBの人だと思うことができるのですが、ずばりそれは彼女が競馬番組に出ているから、ただそれのみが理由です。


というわけで、そのAKB48についての鹿島田さんのエッセイもある文學界、図書館に返してしまったので記憶で書きます。