『御不浄バトル』羽田圭介

群像の創作合評でも当然取り上げられるだろうし、芥川賞になった作品より良いんじゃないと思っていただけに、それほど話題になってないのが意外なくらい、面白く読めた作品。
たしかに、前半から中盤にかけては、ブラック会社に勤めていながら自分は何にも手を染めずに、給料だけはしっかりもらっていながら、その外側に立った気分でいる主人公には大分いらつきを覚えた。そういうもんじゃないだろう、と。悲しいかな人間は、こういう環境になってしまえば、それはそれでしっかりと働いてしまうもんじゃないのか、と。そのへんが、たとえば朝比奈作品のリアリティとは差があるんだよな、と。
詳しくいうなら、営業がいないとき取ってしまった電話で、鴨がネギしょってきたのにこの主人公は何もしない。それはないだろう。戦争小説で、上官の無慈悲な命令に背くような倫理的な主人公を描けばそりゃ立派だろうけど、それじゃ娯楽映画でしかなくなって、リアリティは剥がれてしまう。それと同じこと。自分の金の出所を思えば、自分の意思に反しても、子供に教材を売りつけてしまう人を描くのが文学だろう。あとでどういう内省が訪れるかについては、いろいろな描き方があると思うけども。それがこの主人公に至っては、バイトの学生の女の子に性的な目を向けたり、誰もいないと一緒にくつろいだりしてるし。
しかしこれはただのリアリズム小説じゃなかったんだね。ネタバレになるけど、最後には主人公が、軽蔑気味に思っていた営業社員や幹部社員以上の反社会的行動をしてしまう、という。主人公が自分の退社の条件を良くするために、つまり自分の金の為に。結局お前も金のためじゃないか、という皮肉がきいた小説だったなあ。
でも一番の読みどころは、トイレでのシーンの数々。電車から降りてトイレの順番を競ったり、あっちのトイレは綺麗でとかそういう観察をしたりとか。モノ食べて落ち着いたりして。このトイレに拘泥するなんという人間の小ささ!「草食系」とかいう言葉が以前流通していたが、「弁当男子」だのもそうだが、当節の若者らしさがその生態のリアリティが実に良くでているんじゃないだろうか。