『すばる』 2010.3 読切作品ほか

先日近くに用事があったので、久しぶりに下北沢に寄ってみたのですが、心なしか人通りが少なくなったような。昔はちょっとした裏通りまで結構人が歩いていたような記憶があるのですが。
しかし町並みは秋葉原に比べれば全然変わってませんでしたね。昔懐かしいアナログレコード店とかとうの昔に無くなってると思ってたのがあったのにはビックリです。アナログレコードといえば、レコードプレーヤーとかちまちま針圧を調整して、針先を掃除したりして、レコードは毎回プレイごとにホコリをとって、という作業をよくしていたもんだなあ、と思います。そこまで準備して30分も経たないうちに片面終わりですよ。ipod使っていると嘘みたいな煩雑さ。


話それましたが、下北沢といえば再開発とか殆どされていなかったのですが、どうなったんですかね。以前は、いかにもサブカル文化人みたいな人達が反対運動しているのをちらりとみて、そういうチマチマしたものを後生大事に守りたいみたいな、自分の保有しているCDや蔵書が何より大事みたいな保守的な感覚が全く好きになれなかったので、とっとと再開発してしまえばいいじゃん、と思ってましたが、なんか少し淋しくなった下北沢をみて、こういう場所もこれはこれであってもいいんじゃないかという気持ちが少し出てきました。
私も年々、というか加速度的に丸くなる一方です。「シモキタみたいな、こういうクルマに邪魔されない散歩ができる街を残しましょうよ」みたいな意見を聞いたときには、クルマに邪魔されたくなければどっかの河原でもいきゃあいいじゃんと思ったものですが。恐らく散歩といったって、ただ歩くだけじゃなく色んな店を見て歩きたいんでしょうし、となると、そういう店に来る商品は、リュックに担いでくるわけじゃなくてトラック等で運んでくるんでしょうから、結局そういう人には見えていないだけで、車社会のお世話になっているんですから。で、モノを運ぶ人間にとっては、踏み切りは開かないは、歩行者は我が物顔、道は狭くて駐車も出来ない、と、あれほどイライラする街もないわけで。
でも、もうこんな感じでいいんじゃないでしょうか下北沢。サブカル文化も結局、ふだんサブカル人間ではない人が気まぐれで買うという消費行動に支えられて栄えた面もあるわけで、それが無くなればこんなもんか、という。今更たとえば学芸大前駅の周りの道を大きくしても仕方ないように、ただの商店街みたいになった下北沢を再開発するべきなのかどうか。環七のクルマの量も頭打ちって感じですしね。