『変身の書架』奥泉光

奥泉光からすれば冒険のない、テーマにしても作風にしてもこれまでの作品の延長にあるもの。逆にいえば、これまでの奥泉作品を好きな人は文句のない作品。
現実の空間から、葬送めいた音楽隊の出現をきっかけに非リアリズム空間に迷い出て、後日になると全くそこに行けなくなる、といったところなどは、氏の常套ともいえるもの。
また今作でもカフカ作品への言及があるが、注目されるのは、というか私が最も考えさせられたのは、次の一点。それは、奥泉氏に重ねられる主人公が、戦争文学を書く理由を問われ、ある意味型どおりに答えるのだが、その答えがより切迫した理由により反駁されてしまうところだ。
しかも当初の答えである、戦争の死者たちを正しく記憶し、そして現在のなかに適切な位置、ヤスクニではない死に場所を与る、という答えはまったく間違っていないにも関わらず反駁される。ここには迫力があった。
民族や宗教が入り組んだところ、東欧や中東の一部などでは、「死者を忘れることでしか、つくれない国もある」、と言われれば、沈黙せざるを得ない。たとえば、ユダヤ人虐殺を正しく記憶した筈のユダヤ人たちが、イスラエルでなぜあんな事をしているのか・・・・・・。