『群像』 2009.8 読切作品

惜しいことにいまや富士山とは関係なくなってしまい、なぜ「フジ」ロックという名前なのかを知らない人なんかも結構参加じているかもしれない音楽フェスティバルが開催中のようですが、私は行ったことも行きたいと思ったこともなく、また、肝心のそこで流れている音楽への関心も昨今全くなくなっていて、必然フェスティバルへの関心も全くなくなっています。
関心がないなかで、私がもっとも関心がなく且つどうにかして欲しいと思っているのが、一部の日本語ラップで、先日店内有線かなんかで、親からもらった名前がどうだとか、親を大切にしなきゃみたいな曲を聴いたときには、本当に頭に来ました。リスナーに説教を垂れるその姿勢もさることながら、あえて歌いたいことがそんなことかよ、貧しさもここまできたか、という感じです。そんな事歌うなら、今日たまたまコンビニ寄ったらおにぎり全品100円でハッピーと思ったけど、150円の対象外のやつ買っちゃったぜ、割引セールやってるときにわざわざ対象外のもの買う俺って金持ち?でもおにぎりしか買えなかったけどね、みたいな事でも書けばいいのに。
話をもどしますが、なぜ関心のないフジロックのことなど触れたかというと、忌野清志郎の追悼が行われた事がニュースで流れていたからで、オーティスの「ドックオブザベイ」も歌われたそうで、オーティスといったらスピード感のある曲が持ち味じゃないのかなあ、これってジョンレノンというと「イマジン」が流れるそんな感じか、と思ったら、オーティスもあの曲はこよなく愛していたそうで、どうやら私の勝手で余計な感想なようです。


ところで、「イマジン」といえば、天国(ヘヴン)なんてもんがどこにも無いとしたらどうだい?で始まるわけですが。