『新潮』 12、1月号拾遺 

ところで、先日ここに記事書いた日って芥川賞の選考会の日だったんですね。後から気付きました。
こんなブログやってそんなもんかよ、と思われそうですが、じっさい私は業界の人間でもなんでもないのでたいてい文学賞の事なんか忘れていて、NY市場の株価とかオバマがどんな対策打ってくるか、みたいに連日報じられるものに関心をもっていかれがちです。
話戻しますと、津村さんの受賞はじつに良い事でした。前回の候補作と異なって明らかにこれまでのなかで最高作ともいえる作品でしたから。これでだめなら何か間違ってる、暫く無理かも、くらいの。
それに、これまでにも数々の作品を発表して書下ろしまでする人ですから、この受賞によっていきなり重たいものを背負うような事にもならないでしょうし。(exa.綿矢氏などのように)また、今まで発表した作品をみても、津村さんは幅が広いですし。
選考会内部の話でちょっとおかしかったのが、鹿島田さんの作品についての話で、よく書けているけど同じような事の繰り返しで少し退屈、みたいな感想が委員のなかにあったそうな。
それについては、事前に"実力では鹿島田"なんて書いた私ですから反発心を持ちそうですが、それほどでもなくて、というより「あ、その気持ち分かるかも」でした。やはり純文学外部への訴求力という意味では彼女の作品は、一枚劣るのかもしれません。私もはじめて彼女の作品を読んだときはなんだこれ、でしたから。私も純文学雑誌を読み続けることで、一般の読者の感性から少し遠ざかってるのかもしれません。
けれでもだからといって、たまにはマンガでもといって読んだりするとすげーつまらないんです、どうしようもなく時間の無駄。RPGでもやっていたほうがマシくらいのつまらなさ。


今日書く記事もつまらないといえばつまらないんですが。文芸批評ではなく文芸誌批評という気分で過去の新潮についてあれこれと。