『神様のいない日本シリーズ』田中慎弥

半分くらいで挫折。よって評価不能。この独白する父親が野球をやらない理由が、単純に敬愛していた母親が祖父の昔話をした最後の言いつけを守ったからだと思っていたら、なんか錯綜していて、「父さんはやろうと思えばできた」とか言い出して混乱し、葉書を書いていたのが実は祖母だった、で読むのが嫌になり、それはきっと祖母が祖父との約束を破ろうとしてそうしたのでは、といったあたりでついていけなくなった。父親の回想が大リーガーの名前がきっかけにしてはなんか無茶にはっきりしすぎているのと、その父の回想に祖父の一人称感情が不自然に混ざり過ぎてるところは我慢できたのだが。
面白かったのは、この父親が現・母親の素晴らしさを描写するところの、ヘンな生々しさ、くらいか。こういうのは他では余りみない。
しかしこの小説、やはり評価が高いのである。次号の新人小説月評でも滅多にないベタ誉め。たしかにフォークナー的な部分に近づきつつある気配はあるんだけど・・・。
つまり、たんに私には田中慎弥が分からないのではなく、どうもこちらに原因があって私には文学というのは分からないのかもしれない。
群像の鼎談でいえば、やはり安藤礼二氏の評価の方が私の腑に落ちるし、あれほど技巧的な作品を書く福永信が田中を誉め、安藤氏を評論家の見方と切って捨てるのが残念だった。むしろ田中作品が技巧から遠いからだろうか・・・・・・。安藤氏は統御されていない、と言い切るのだが、例えそれが意識的に高度な技術でなされていようと、統御されていないことの言い訳にはそれはならないだろうと私も思う。
思えば田中氏の『聖書の煙草』はなかなか面白く、こういう他にない情念が支配する小説ではその良さが最も良く出る。福永氏が誉める所以外の場所にこそ、私の好きな、評価できる田中慎弥がいる。