『ギンイロノウタ』村田沙耶香

最近全然甘口な感想ばかりになってしまってるけど、正直そこそこ面白く読めるのだから仕方がない。
村田沙耶香、同じ『新潮』に載った前作ではせっかく群像の鼎談に取り上げられながら、絲山秋子にたしか紙くずと酷評されていた事を覚えているのだが、どこか普通の作家とは違う異才的なものを感じるインパクトは充分にあったわけで他のメンバーの評はそれほど悪くなく、私が読んだ印象も同様。そして、今作も全く前作に負けず走っていて、異才健在という感じである。
そして、これら2作には私みたいに作品をあまり深読みできない者にも明らかな共通点があって、それは娘と母親との相克がベースとして強烈に漂っていることで、でいずれの作品も娘の側から書いている事もあり、母親がちょっと足りない存在として描かれている。よく考えれば一年以上前の作品の事を私にしてはよく覚えているのであって、それくらいモチーフとして強烈だという事なのだろうし、他の作家にないオリジナリティと力強さがあり、尚且つ印象付けの上手い描き方をしているのだろう。こういう母親の外部としての奇妙さを出すのが彼女は非常に上手いのだ。
そして恐らくは「娘」は村田自身の分身的な部分もあるはずで、母親に複雑な思いを感じていたのかもしれない。逆に、全くそういう相克がなくてこういう作品をモノにしたとすれば、作家として相当な力量という事になる。
またこのへんの記憶は定かでないが、リーダビリティも向上していて、この作品は退屈することなくほぼ一気に読むことができた。その直前に読んだ牧田作品とは対照的に、あれもこれも盛り込まず、焦点を絞ってあることも大きいのだろう。コンビニでのあたふたした場面とかでは、いつの間にか主人公に感情移入してしまい、なんとか頑張れとかこれをきっかけにもっと開かれた奴になってうまく生きていって欲しいなとか思ってしまったりして、そういう物語的楽しみすら味わえる。全ての日に勤務希望を出しておいて一日しかシフトを入れてもらえないなんて下りはちょっと胸に迫る。コンビニの客の勝手さもリアルだ。
また以前中村文則の感想で言った覚えがあるが、犯罪者の内面をリアリティをもって描くのは相当難しいのではないかと思っていて、この作品は犯罪一歩手前まで行くのだが、その緊迫感は相当な物。ただし、学生生活の悲惨さ教師への憎悪から犯罪の空想への飛躍はこれはやはりやや文学的なきらいがあって、リアリティがあるかは微妙。
そしてもう一つ、それと不可分なものとしてある主人公の性的欲望の歪みの描写にかんしては、目玉を切り抜いて押入れの天井に張るとかの具体的行為も面白いし、父親に受け入れられない母親にたいするああいうふうになりたくないという気持ちから、早く男に受け入れられなくてはとなってしまうその道筋にもリアリティはある。この母親との関係では、最後のほうになって、「私」自身がアカオさんになってしまったという所もなるほど上手い。
と、良いところばかりを上げてきたが、欲をいえば、ノートの空想殺人の記述が余りにも文章が上手いところはどうなのだろうか。そうすることによって物語としての整合性が増した分、スピード感をもって読み進められる部分は確かにあるのだが、いま少し破綻の要素が欲しかったように思う。コンビニの店長が背中をさすったような個所のように、もう少し小説内に、訳の分からなさ、が放置されていても良かったかもしれない。
文学界の新人小説担当の人は絶賛しつつも笑い的なものの不足みたいな事をいってたが、私は、読み応えという意味でもう少し複数の要素が欲しいというか、多層的であって欲しいというか、相対化する第三者の目があればというか、そういう気がした。たとえば、高校生くらいになれば級友でも変わった奴はもっと出てくるはずで、そういう人物が主人公に絡んできてもおかしくないはずだ。例えばバイト先の台湾人とかもそういう要素な筈なんだけど、印象が薄かった。