『隣人の生活』佐藤智加

とくに話があるわけでなく、あるどちらかというと田舎な町の3人の中年〜初老男性の生態を描いたもの。
人物の名前もカタカナで外来的であるが、ヨーロッパではなくアメリカっぽい感じ。その辺の地域についてのハッキリとした記述があったかどうか記憶が定かではないが、個人的にアメリカの翻訳小説ばかり一時期読んでいたもので、そう感じてしまうのだろうか。
つまり先走って言ってしまったが、非常に翻訳小説っぽいのである。それぞれの人物の内面に、日本的な、共同体が強いてしまうものの香りがしない。これは、出てくる人物をカタカナで外国人っぽいものにしたからなるものでもないだろう。やはり内面そのものが、例えばエキセントリックに過ぎる所とか、どうしても日本的な文脈の外にあるように思えてならない。
となるとこれを心理描写として「浅い」と見る人、自分とは関係ない小説かなあと思う人もいるかもしれない。たしかにこのままでは、話の始まらない娯楽小説のようなものかもしれない。全体として序章的な雰囲気があって、最後になって望遠鏡で近所を覗いて亀でも殺す所を目撃してしまうとかそんなオチがあるのかと思ったら全くなかったし。
しかし私は歓迎したい。まずもって、ほかと筋の違うものが文芸誌に載ることは大歓迎である。己について、でしかない私小説めいたリアリズム小説ばかりを読みたくないのだ。
そしてこのような外部的な、日本人的でないものを書こうとした心意気も歓迎すべきだが、何よりそれが書けてしまうということは、この作者に一定の力が間違いなくある事を証明してはいないだろうか。
この小説の、序章で終わってしまう所を楽しめないとしたら私は悲しいと思う。この乾いたユーモアと、ややエキセントリックな人物像を楽しめないとしたら。
ところでここで描かれる男性は皆孤独で、一時的に気分が高揚しながら最後には総じてガックリきて終わるのだが、その落胆も決定的ではなく破綻ではなく継続していく気配がある。そういう意味においては、ここで描かれる人物は表面上は全く異なるようにみえて、またわれわれと重なってくるのである。日々うなだれながら生きている我々と。