『マイクロバス』小野正嗣

ある程度リーダビリティを犠牲にしている部分があって最高評価ではないが、とても面白く読めた。
古い言葉でいうと知恵遅れ、いわゆる重めの発達障害である、クルマの運転がやたら上手い若い成人男性を中心とした、過疎地での物語。
井村恭一の作品では中心人物は記号的に描かれたが、この作品においても中心人物の内面は乏しいゆえにそういう手法もありかと思いきや、あくまでその乏しい内面に入り込んで描くという荒技。フォークナー並である。といったら誉めすぎか。ただしフォークナーが知恵遅れの人から見た世界を描いた作品よりは少なくとも読みやすい。
突然過去が現れ、現在を侵食し、またいきなり人物が不在となり、現れたりするのは、非リアリズムではなく、信男の眼から見た世界としてリアリズムなのである。彼には時間というものが無いのだ。また自他の区別もあいまいである。道で出会った少年が信男であったりする。これらはあくまで作者が想像して構築した発達障害の世界ではあるが、説得力を感じる。
そしてここには確かなアクチュアルな批評性がある。田舎的なものが失われ、それを何も考えずに受け入れられる父や、父の仲間たちへの。私たちは都市が収奪する事が田舎の光景を貧しくしていると考えがちであるが、田舎に住む人もまた共犯者なのである。ただし彼らをその犯罪をもって責めることは出来ないのだが。
過疎地の場の空気はじつに上手く描かれている事も、この小説の良い部分。田舎の元からの光景は決して美しくない。開発によって出来た道路のほうが一見した見た目は良い、みたいな部分。当たり前だが、いま批評的であるという事は、決してたんなる自然礼賛ではありえないのだ。