【大座談会】ニッポンの小説はどこへ行くのか

まず印象に残ったのは古井さんかなあ、やはり。誰の否定的言辞でも、そこからポジティブな事を語ってくれる。
一番頭の悪そうなことを言っているナオコーラに対して皆けっこう暖かい。私も意外と彼女には嫌悪感を感じない。外部からみた場合の「小説」をそれほど突詰めて考えなくても、彼女にはそこそこのものを書けてしまう才能があるのだろう。まあ、そこそこでしかないのだが。
中原昌也島田雅彦が同席してるので緊張感があるかというと、お互いシラケ世代というか、文学に対して斜めに構えるタイプであり、両者ともとくに力が入っていないので、特に何もない。「金ないくせに」とは言われていたが。この2人に関しては、大層な状況論を長々語る島田雅彦のほうがじつはもう純文学に関心がなく、小説なんて書きたくないと言い続けている中原のほうが純文学的に見えるのが面白い。
全体として当たり前の話だが、危機感というものはすでに通り越していて、筒井氏のように文学の枠を広げて考え楽観するか、田中氏のようにもはや保護すべきとするか、に大別できると思う。私はこのブログを商品批評でもある、と書いているとおり、商品としてダメであれば本来否定する立場で、筒井氏側のはずなのだが、筒井氏ほど世間で売れている商品を面白いと感じないので困る。したがって、自分の立場からは筒井、利害からは田中弥生氏という事になる。
ほか、広告の言葉みたいなものが流通している、という指摘が面白かった。ボキャブラリーが貧困になっている、分かり難いものとっつきにくいものが忌避されている、という事でもあると思うのだが、たとえば、昔からロックフォークを聴いてきた人などは今のJPOPの歌詞は聴くに耐えないのは確か。
ただ、人に権力欲のある限り、知的好奇心というのは大抵の人はもっている筈で、それほど心配しなくても良いかもしれない。そして恐らく、今の世の中が荒んでいることとはあまり関係がない。生活に余裕がなくても文学が好きな人は読むだろうし、生活に余裕があっても読まない人は安易な分かりやすい癒しに走ってしまうものだ、と思う。