『ソードリッカー』佐藤憲胤

『りすん』のついでに読んだといっても過言ではないこの作品、冒頭から数ページは読みやすく、しかもカチっとした締まった文体で、しかもいきなり誰にも恨みを買うような人物ではない主人公の兄が酒場で刺されるという何かストーリー的なものがありそうな雰囲気。大いに期待して読み進めたのだが、途中から自意識過剰の主人公のハードボイルド的自分語りになってしまって、残念。良い悪いの前に、こういう作風苦手なのでございます。文章自体は嫌いでもないんだけどなあ。
ちなみにソードとは日本刀、リッカーとは舐める人。兄が刺されたときの刃物がまだ強烈に印象に残るある日、日本刀に出会い、その虜となってしまう物書きの人の話。と要約できるくらい、とくにストーリーは無い。
ところで、その主人公が夢中になってしまうのは、真剣ではなく模造刀というのが一つのポイントなのだが、私が余り頭が良くない事も手伝い、なぜ模造であることが主人公にとって重要なのかがピンと来ない。いや、理由はそれとなく分かるように書いてあるようなのだが、その主人公の気持ち自体があまり実感できないのだ。もしかしたら、こういう自己憐憫に酔ってるようなタイプの主人公が苦手過ぎて、その気持ちも理解しづらくなってきてるかもしれない。今思ったのだが、物書きなだけにニセモノをいかにホンモノの如く感じられるか、に意義を見出した、とかそんな解釈はこじつけになるだろうか。
ちなみに、兄が刺された後なぜ兄に会いたくなくなるのか、もよく分からない。この不況の世の中、階層化社会とかいわれて、生きてくために命を削る思いでやらなくてはならない事に毎日向き合ってる人が大勢いるなかで、こんな事を出来ないとか言う主人公、よく考えると興醒めなのだが、この主人公は肉体労働の経験があって、兄の肉体労働者としても寡黙な感じはうまく描けているのだから、リアリティの無い作家的日常などより、もっと軸足を兄的なもの中心で描いても面白くなったかもしれない。もっとも兄がうまく描かれているのは、いかにも男の兄弟らしい口数の少ない関係をきちんと描いてる事に由来していて、兄の職業がサラリーマンでもこんな感じになるのだろうか。カメラ屋の女主人とかは作りすぎというかありきたりであることを考えると、とくにこの作者のキャラ造形力が上手いという事でもなさそうだし。
もういちど違う作風とまでは行かなくても、主人公から何から設定をがらりと変えた作品も読んでみたい。そしていま少し読者に驚きをもたらして欲しい。