『婚礼、葬礼、その他』津村記久子

最初にいってしまうと、面白い、とするのに全く躊躇はないが、物足りなさは残った。
それはこの作品が、いままでの津村作品の枠組みのなかにすっぽり収まってしまうものだからであって、相変わらず上手くて読んでて楽しいながらも、新鮮さや驚きは、とくに彼女の作品を継続して読んでいた人にとっては、乏しいものがある。
文學界にこの分量で作品が載ってしまうと、読んでいるほうまでもが芥川賞を意識してしまうのだが、これよりも面白い作品を津村さんが書いてきた事を知っている者としては、もしこの作品が候補になったとしても、もどかしいものがある。
で、今回は題名のとおり、結婚式に呼ばれ、その途中でこんどは葬式に出なくてはならなくなる女性の話。
結婚式にしろ葬式にしろ、普段の知り合いが意外な一面を見せたり、また逆に、本来厳かである式典において全く普段どおりだったりして、非常に興味深い人間観察イベントであるわけだが、少なくとも伊丹なんとか氏の昔の映画よりは、この小説を読んだ方が遥かに面白い。伊丹氏がああいう映画を撮った動機が似たようなものであったとしても。
控室を間違えてみたりとか、そういうちょっとドタバタした所など、純文学として面白ろ可笑しく書きすぎなのではという人はいるかもしれないが、いくら葬式や結婚式がちょっとした非日常とはいえ、そんな楽しい話など転がっているわけでもなく、こういう主題で読者を引っ張っていくためには、あっていいだろうと思う。私はそういう所は積極的に擁護したい。純文学だからといって、読者を退屈させないという意志はあってしかるべきだと。(ただ今回は、愛人同士が揉めたりするところはちとやりすぎかな)
ひとつ気になったのは、主人公はこれまでの多くの津村作品と同様、20代後半くらいの有職者の女性なわけだが、これまでの作品に見られた闇というか病みというか、そういう暗い部分が希薄なこと。なんかしら鬱屈したものを抱えている場合が多かったわけで、今回は母子家庭という設定はあるものの、人を気軽に呼べないというのは少し抱えたものとしては弱い気がした。ただ、こういう人間関係の軋轢を避けようとする主人公のあり方は、すごくリアルではある。
あともう一つは、今回名場面が少なかったかな。どちらにせよ、贅沢な願いなのだが。私は、これ前に書いたかもしれないけど、『ハムラビ法典』の控室での様子のあの描写の素晴らしさが忘れられなくて、一時は思い出しただけで、再び感動に浸れたものだ。
最後になって、主人公は人を呼ぶことに関して、自分のトラウマを否定するような科白を頂く事になって、ハッピーエンドとまではいかなくても、こういう良い読後感で終わってくれるのも純文学らしくなくて、ここも積極的に評価したい。それにこの『婚礼、葬礼、その他』の2その他"がいちばん重要な場面であるかもしれないのに、その分量が相対的に少なく、またそこにおいて、主人公の感情をあまり表に出さないという描写もとても良い効果を上げていると思う。