『ワンちゃん』楊逸

新人なので甘めに、というかここ数ヶ月の間に発表された新人賞のなかでいちばん面白かったので、[面白い!!]にした。
短めに評価を書いてしまえば、私のいいたいことは松浦寿輝とほとんど一緒で、書きたいこと、書くべき事をもっている人は技術の差を超えるな、と。コンビニで駄菓子買ってケータイしているような奴の日常を読まされるより時間を無駄にした気がしない、そのとおり、である。
主人公の内省の描写で、ちょっと直情的というか単純と言うか、ロマンスにしても惹かれたら惹かれどおしだったり、姑の面倒をみることにかんしても逡巡があまりない。こういう面においては、どちらかというと通俗小説の気味さえあるが、主人公からみた他の登場人物の描写は、その人物の存在感を充分感じさせるものだ。とくに年老いた女性たちの存在感がいい。同世代の日本人女性より、ひと世代上の日本人女性と中国人女性が通じ合うものを持つということにかんして、説得力じゅうぶんである。ああそういう事もありそうだなあ、と。
そもそもこの小説が通俗的小説であるなら、私は通俗的なもののほうが好きかもしれない。フォークナーだって、一面においてはこんな小説も書いてきたではないか、と思う。例えば、体を壊してしまい、それをきっかけに一日テレビをみて何もしない中年男性とか、親の血をみごとに引いて金を掠め取っていく青年とか、フォークナー的人物の色彩を帯びている、と言えなくもないだろう。
そして私にとって、この小説のほんとうの主人公とは彼らなのだ。この物量に満ちた、たいていの事が許されてしまう日本でゴミに囲まれながら空虚に朽ち果てていく中年日本人男性と、何もない中国で、ただ男の子が産めないだけで人生を奪われかかっている中国人女性との落差。そして、その落差を急激に均質的に埋めようとするかのような(プレゼントとしてのCDプレーヤーを受取らないシーンが何より印象的な)都市の中国人青年。また、都市部の中国人女性は日本に憧れてヨメにきて地方の落差の大きさに絶望していく。
つくづく貧困、正確には貧富の差というのは人間性を露にするものだと思う。ここでは、日本の地方が女性に逃げられるという貧困さを抱えているがゆえに、皮肉的に、中国の女性が食べていけないという本来的な貧困の補完となりえている。双方とも、都市の発展から取り残されているという面においては同様であるし、ただ取り残されているというだけでなく都市部が裕福であることを支える面があることも共通しているが、決定的に様相が違っているのが面白い。日本の貧困がレベルにおいてはまだ数段マシという事なのだ恐らく。そのぶんだけそこには充分な生活の余地が残されていて、しかし日本人女性はそこから逃避し、中国人女性はそこへ逃避するのだ。
ところでこういう国際的な婚姻はあまり美しいものとは思えないが、まさしく資本主義の歪みといってよいかもしれないこのような状況をただちになくせとは思わない。それは、都会生活にあこがれて地方を抜け出す若者を否定してはじめて成り立つような自己満足な考えではないかと思うし、人様の行動などむろんそんなに簡単に否定できるものではない。また、場合によっては、「新しさ」を重要な富の源泉とする現代の資本主義のあり様を根本から変える覚悟を要求されることもありえるはずで、私にはそんな覚悟は今のところない。
そして、そのような国際的な結婚相手のの受け渡しを生業とする人にたいしても、賞賛もしないが、むろん否定感情など起りようもない。あるべくしてある。ただ幾ばくかの共感をもって見るだけである。