『えこえこ痣(あざ)らく』久間十義

なんか久しぶりに、基本リアリズムでありながら、それだけでなくちょっとした非現実を織り込んだ純文学らしい小説を読んだなあという感じ。
非常に読みやすく、また、ボクシングじたいにも少なからず興味がもともとあったので、あっという間に読んだ。でもやっぱ一番大きかったのは、学生運動に触れているからかなあ、これは私の琴線だやはり。ともあれ読後感は良く、ラストの1、2ページでは思わず心動かされた事を告白する。久間十義などというアウトオブタイムっぽい作家にかよ、なんて思われそうだが、正直に書いておく。
その心の動かされ方は、感動とかそんなのとは意味合いとは違って、今自分のいる場所がすごく不安定な、実態のないようなものに感じられてしまうというもので、やはり純文学ならここまでもっていかせなくては。読む人の日常を疑わせ、日常感覚を狂わせ、あわよくばその人の何かを変えてしまうようなものでなければ、なんて思う。
途中、酒を飲みながら最初の痣を指摘される場面で、痣が出来てしまったボクサーがいきなり深刻になったりするのはどうかな、とは思ったものの(普通、ほんとに痣が気になるのならばかえって他者の前では気にしていないかのように振舞うんじゃないかとか思う)、他には表現上の違和感があまりなかった。ただ死んでしまったチャンピオンの彼女の造形が浅くあまり魅力的に思えなかったというのはあって、彼女が精神病者のごとく関係妄想のようなことを口にする所などは、もっと生身の人間の恐ろしさを感じるものであればもっと良かったかもしれない。このへんは、すこし物語に流されてしまった気配。痣のあるボクサーが不慮の事故で死んでしまうというのも、ちょっと物語として定型感があるかなあ。
また、この小説のもう一つの特徴は、語り手のことについては、示唆だけされるもののあまり語られないことで、もうちょっと何かあっても良かったという気持ちがあるのは確か。ただそれは欠点ではなく、語り手がそんなにニュートラルな位置に「普通の人」としているわけではない事は、それとなく示されているのでこの小説はこれでいいと思う。学生運動のことを気にはしつつ逃げていたということなどから、いろいろその後を想像すればいいわけで。
技術上のことをいうと、総じて文章上の工夫、比喩や感情表現などに工夫を殆ど凝らしていないし、冴えた感じなどはない。それでも、平易な文章で滞りなく読ませ、最後にはなにかを感じさせることができるというのは、非常な力量であり、私はそういうところをとても評価する。