『春待ち暮らし』赤染晶子

最初いままで[普通]評価にした他の小説と比べれば、[面白い]でいいかな、とは思ったが、内容としてたいした事が起るわけでもなし退屈な面も少しあるし、と迷った。結局[面白い]にはしたが、オススメというほどでもない。
とりあえず最初にいえるのは、文章が非常にキビキビしているということで、短い文章を積み重ねたリズム感がとても心地よく感じた。会話の内容を地の文で表現したりする工夫もあって、飽きさせるような内容でありながら、最後まで飽きなかった。なかなか技術のある人だと思う。
冬山と肺病の人の療養所というと思い浮かべるのは「魔の山」だが(ちがったっけ?)、療養所内の、われわれの日常からずれたところが日常と化している様も、あの名作と同じように書けていると思うし、それは、病に冒された人の常人とは違う有様においても、同様。
そう、誰がどこで言ってたか覚えていないし検索もあえてしないが、病に冒された人とそうでない人の違いは、老若男女のそれを超えるところがあるのだ。そして現代で言えば、生まれてから今まで完全な健常人など、一定の年齢以上ではほとんどいないだろうから、ここで描かれている人の有様を、きちんと地続きで自分の周りのこととして感じたり考えたりすることが出来る。つまり作品上の病人にリアリティがあるかないか、というのは、けっこうわれわれでも判断のつくことである、ということ。私は、リアリティを感じつつ読むことができた。
また、村上龍文學界での連載作品のようにはっきりと死が描かれてしまうと、少しだけどこか遠いものとして感じてしまったりするし、ああいう作品での死というのは、日常性からそもそも遠いものなのだ。この作品では、死は日常として隣り合わせであり、メジロについても何にしてもその死を敏感に感じざるをえない。
こういうところでこそ表出してくる人間性というが確実にあって、それは面白いといってしまうと語弊があるが、引き込まれるものがある。逆にいえば、健常者の世界にいるわれわれは、普段いかに自己を調整しているか、という事なのだ。自分の性質や思いを、極端に走らせないように、うまく調節している。それが、病気になるとストレートにでてきて、むしろこれこそ、本来的なその人の「人間」が出ているのではないか、とすら思えてくる。
秘密のキーをこさえることで生命をコントロールできると思い込んだり、また、それが、これ以上ないと思えるくらいあっけなく(例えば婦長さんとかに)否定されたりする様も、内面に閉じてウダウダとひとりで世界について悩んでいるような小説からくらべれば、そのもっていかれ方はリアリティがある。外の世界、つまりわれわれを有無を言わさず否定してしまう世界の感触を感じてくれれば、純文学として私はそれだけでもう満足なところがあって、この小説は合格。
最後の段階になって、お経が繰り返し出てくるその唐突さ、分けの分からなさの感覚も面白いし、冬の景色の美しさも、少ない言葉で非常に実感のあるものとして描いていて、情景描写も上手い。ポストの赤や、空の青さが、くっきりと頭のなかに冬の空気の肌触りとともに浮かんでくる。こういう季節に読んだから、という部分もあるかもしれないが。