『童貞放浪記』小谷野敦

小谷野氏の過去の作品の傾向、そして今回のこの題名から予想される内容そのままではある。でもやっぱ面白い。当然事実そのままではないだろうが、それに近いことを経験してきたのでなければ書けないところまで、書けている。そういう迫真性はある。
とくにはじめての性体験のそれぞれの情けなさは、まさしく等身大である。その奥手っぷりに、ええっとも思う箇所もあるが、村上春樹の小説のように、やたらと女性が誘惑してきたり、なんて馬鹿らしさよりはよほどありそうな話だ。とくに、学歴が高くなくソコソコであっても、最近の若い男性の多くはこんな感じではなかろうか。
それにしても以前ストーカー男と誤解された事だってあるのに、それで、今回なんか、より小谷野氏と似た境遇の主人公なんだから、またあれもこれも事実なのかと誤解を受けるかもしれないのに、よくここまで書けるよな、と思う。風俗での射精にまでいたる描写もやたらと細かかったりする。後半で出てくる一般女性との性的な接触よりも時として詳しい印象なのだ。
ネットでの実名主義でも有名だが、どうも小谷野氏は、まわりに軋轢が起ってしまうのではなく、まるで軋轢を起こそうとしているかのようだ、と思えるときがある。基本的には、それが正しいことだから軋轢は仕方ないという信念があるのだろう。ただ同時に、容易に日本的な同調社会の圧力には屈しないぞ、という意思みたいなものも感じるのである。今までの人生において普通に人と同じように出来なかったという所からくるアイデンティティみたいなものが、そう昇華させたのかもしれないが、だとしたらマイナスと思われかねないものを強烈にプラスに変えてしまったという事になる。なかなか出来ることではなく、個人的にはすごいと思う。
共同体的なものにたいする批判をするのであれば、本来は氏のようであるべきではないか。というと持ち上げすぎかもないので気になった点を。
今作は、構成にとくに工夫を凝らさず時系列で語られる物語であり、小説としてみた場合単調な感じは否めない。変化球を投げず、直球だけみたいな。
ただこれが手馴れた文章となって書かれて、さてどうかというと、それも違うかなという気はする。この文体と、この内容がうまくマッチしている感じも否めないのだ。