『ダリアと官僚とセックス』安達千夏

セックスも嘘もビデオテープじゃないけど、こういう三題噺的題名って、関連性が無さそうであればあるほどちょっとこじゃれた雰囲気があって、単純な私は面白そうに思えてしまうのだが・・・。
これはハズレ。
敢えてそうしているのだろうけど、心理描写と情景描写を地の文で混同させているため、いきなり視点が変わったりしてちょっと読みづらい。
また、その地の部分で、主人公の一員である父親が、遠くまでいっても似たような街がみたいな、ありきたりな底の浅い文明批評をやたら繰り出すのが、ちょっと邪魔くさい。そういうものまで盛り込む必要があったのだろうか。それをやるくらいなら、もっと心理部分を掘り下げたほうがまだ良かった気もするのだが。
それに、それが主人公の認識ということなら仕方ないのだが、その文明批評、資本社会批評が、地の文のなかで表現されるため、まるで作者の問題意識の反映みたいになってしまっている。そうするとこの底の浅さがまずく感じられてしまうのだ。
母親の娘に対する突き放し方や、ストレンジャーである蜂飼いの人たちとの関わりかたも、ちょっとアリエネー風で、このへんはちょっとテレビドラマ的。初対面の女子中高生にたいして、いくらその態度が気に入らなかろうと、そんな邪険な態度取ったりするもんなのかねえ・・・。