『オブ・ザ・ベースボール』円城塔

古い海外小説(といてもほぼアメリカ)の翻訳を読まされたような感じ。
ヴォネガットとかバーセルミとか、そんな感じの、ポップという言葉が目新しかった頃の。
いつでも途中で読む手を休められそうな短い章立て(そのおかげで何度か途中で読むのやめたが)、簡潔で分かりやすい文章と最小限度の情景・心理描写、要点だけのちょっと気取った会話。
こんなのとは随分前におさらばしたつもりのところへ、どうですこんな感じも面白いでしょ、なんて作者はそんなつもりはないのかもしれないが、ちょっと得意げに言われてる気もして、読んでいるうちに萎えて来てしまった。
ちょい昔って、大分昔より古臭いんだよね。
その形式だけでなく、この人ならでは、というのがちょっと薄いというのも原因してるかもしれない。分かり易く言えばオリジナリティ無し。


話も退屈。
というか話なんてものはほとんどなくて、大部分が、今の主人公の境遇を説明するだけ。単調だ。
また、良いほうに考えれば、隅々まで考えられたというふうになるのかもしれないけど、話が単調であればあるほど、そのきっちりシェイプされ整理された感じが退屈を増幅させてくれる。
たとえば確率に関する数学的な話など、ちょっとは無駄に膨らませるのかと思えばそれもないという有様なのだ。無駄とか余剰なところがあると、ときにはそれが面白く感じさせてくれたりもするんだけどね。
ラストに関しても、バケツが2つ出てくるところで、これはひょっとしてバットを振ろうと目的地に行ったつもりが、落下していたのは自分だったみたいな話と思ったら、似たり寄ったりでこれも凡庸。オーライだのなんだの、ラストにかけてのセリフもなんかキザで読んでてイヤな感じが漂う。古川日出男系なのこれって? ベースボールではないとか格好つけたふうな言い草も何度も繰り返されるし、そういいながら、キャッチャー対バッターなんておかしいだろ、という所などちょっとウンザリ。


しかし、異様な世界を描いているふうでいて、この異様感のなさはなんなんだろう。この小説にはどこにも驚きというものがない。


ちなみにこんな小説を推したの誰?ともう一度選評を読むと、川上弘美島田雅彦らしい。
島田雅彦はこんなのを面白いと思うようだから自分の小説があんな(以下略)。
川上弘美は、よくまとているみたいな?イマイチよく分からない選評。この人の選評は全体的に優しさが前面に出ているわりには、言ってることは抽象度が高く、これじゃ落選者にはちっとも優しくなんかないんじゃないの、と思っちゃうけどね。