『群像』2012.9〜2013.4まとめて

ラテン音楽のラテンのテイストが苦手です。


図書館のリサイクル資料(タダ)で3年くらい前のロッキンオンがあったので持って帰ったのですが、見事に読むところがありませんでした。
でもタイアップとか色々試みていて、これはこれでこの世界、いずれ縮小均衡するんじゃないでしょうか、と思わせます。模型とか山登りとかみたいに。それにしても、ロッキンオンで書いているライターの文章はまともというかそこそこ質が高いですね。ジャズのCDの解説なんか読んだりすると頭きますよバカすぎて。本当に掛け値なしにバk、いや、人の知性をあれこれできる私ではないのでありました。


ロッキンオンといえば、渋谷陽一ゆかりの二人の名前を最近朝日新聞でも見たのですが、まー高橋源一郎宮崎駿について書くと言えば、読む前からどんな理屈を行使してでも褒めたたえるだろうとは思っていたのですが、ゼロ戦作った人を扱った映画らしく、でそれは日本軍の兵器ではあったけど戦後復興の礎ともなったみたいなことが書いてあって、戦時中に行ってきたことは、それが軽率ではないその人の精いっぱいの実存であるかぎり、単純な善悪に分けられないんだみたいなことでしょうが、それはその通りとしか言いようがなく、しかしそれならば、原発を導入するに際して苦労してきた人々にも同じこと言えるなあ、と思ったところですよ。まあ、高橋源一郎の場合はお仲間が反原発で一所懸命ですからけして言わないでしょうけれども。


高橋源一郎はともかくそんなふうに通常運転として、内田樹って昔からこんなトンチンカンな人だったんですかね。以前、安部政権が対外憎悪を放置するのはグローバリズムで富がアメリカの富裕層に付け変わってもそれから若者の目をそらせるからだ論にも仰天しましたが、今度は、スピードばかりで目先を重視するな何年も先の事を考えて決められないのが民主主義だ論ですよ。簡単に決められないからこそ、とりあえず落とし所みつけて害が最小限になるようにしか、つまり目先の事しか決められないのが通常見られる現象であって、子孫のことなど考えないできたのが、今の日本の社会保障システムだったりするのですが、言っていることがまったく反対なのが笑うしかない感じです。まあ社会保障にせよTPPにせよ、内田みたいな世代の人はこれまで通り決められない政治を続けてくれて、改革をなんとか遅らせれば、ずるずると年金もこのまま受給できて医療費も消費税も安く、という腹積もりなんでしょうが、あまりにそれが見え透いてますよね。