『一一一一』福永信

単純に、アナログテレビの不備を何度も言い立てるところとか、リサイクルショップについて同じ事を繰り返し、あれさっきも言ったっけとなる所などが面白かった。きとんと謎が解き明かされる感じが最後に訪れるのも、会話の言葉だけではなく、隅々までよく練られている印象だ。
アナログテレビの問答で思ったのだが、この質問し続ける男性は、現実にはいない通俗の極致としての面白さがある。
ところで、面白かった作品ではあるものの、どちらかというとこれは文「芸」としての面白さ、素晴らしさであって、今書かれる必然性云々でいったら、どうなんだろう。というか、今書かれる必然性なんてものから縛られない事も、純文学の存在理由の一つともいえなくもないんだよね。
それにこういう作品を福永が最初に発表したのは2008年頃のことだから、Twitterと関連づけて語るのもちょっと的外れ。福永が、ツイッター的未来を先取りしていたとか言われたら返す言葉もないけど。