『神器―浪漫的な航海の記録―』奥泉光

作品批評ではなく雑誌批評であると自称するからにはこのブログ、あまり反応がなかろうと連載作品についてもたまには書くのだが、そんな些事に関わらず、この作品が終わったからには言及しなければならない。奥泉光という作家がそれほどの作家かどうかは議論が分かれるだろうが、彼がこのテーマで書くものに関してだけは、スルーすることは妥当ではないだろう。要するにテーマ的にそのくらいの作品なのであり、じゃ何がテーマかといえば、今の我々から宙ぶらりんに浮いている旧日本軍の兵士達の正当な位置付け、である。
とてつもなく重いテーマである。それに対して、近代文学として真正面から向かっているのが例えば、古処誠二であり、ちょっとポストモダン的なアプローチなのが奥泉光だろうか。片方がエンタ系で書いていて片方が純文学で、それぞれがこのような方法論になってしまうというのは興味深いが、奥泉も押さえておくべきところでは、というか、声を大にしたい個所ではむしろ押さえず、真正面からうやむやにしてきたものたちを批判する(ようにみえる)。今回もラストにかけての死者の呪詛ぶりはすさまじい迫力だったように思う。
そういえば、加藤典洋も奥泉と同様のことを数年前に評論でやろうとしていたはずで、しかし彼の場合は厚かましくもまず自国の死者優先であり、また、その死者を弔うのはあくまで我々の今の為でしかないかのようだったのだが、この奥泉作品の死んでいったものたちの呪詛の描写を読んでいるかぎり、これが我々の今のためのものとは全く思えない。なぜかといって、読んでいるとひたすら苦しくなってくるのだから。そしてこの作品には、日本人以外の死者もきちんと出てきて、彼らの言葉もまた重たい。


この作品は『グランドミステリー』『浪漫的な行軍の記録』に続く作品なのだが、『グランドミステリー』がやや通俗的で、『浪漫的〜』は文学的抽象度の高い作品。この作品は、どちらかといえば前者に近い。
ただし話の筋の面白さ自体は、明らかに前者に軍配があがってしまう。決してこの作品が面白くないわけでなく、『グランドミステリー』が傑作だったという事でもあるのだが、連載という事も手伝いやや焦点がぼけた事は確か。とくに殺人事件のミステリアスな度合いが全然違って、この作品でも船内で不審な死が何件も起きるのだが、その真相についての興味がそれほど湧くものでもなかった。主人公もしばらく忘れ去られたかのように登場しなかったりするし。
一方、前作までと大きく違うなあと感じ、また評価すべきだなあと感じたのは、あきらかに天皇に対する直接的な批判としか思えないような記述があることだ。かなり踏み込んだ感じがするのだが、他の作品の多くを知らない私としてはあまり比較して語ることはできない。


ところで、奥泉のこういうテーマの作品を読んでいたりすると、NHKで一ヶ月に一度放映している『兵士たちの証言』みたいな番組はもはや見逃せないものとなってしまう。あの番組をみて、私がいちばん心に響き、また問題だと感じるのは、彼ら旧軍の兵士の生き残りの人たちがまだ全てを口にできないと感じ、じっさい口にするのも苦しそうな人が多く、またそれゆえに口にせずに墓場までもっていってしまう例があまりに多い(と思われる)ことである
それを私達が乗り越えるためにこそ、こういう奥泉のような卓越した想像力とそれに支えられた文学作品を必要なのだ、と思う。