対談 古川日出男×佐藤良明

あまり吟味することなくさっと流し読み。
佐藤良明さんは、ピンチョンの長い独特な注釈つきの翻訳で私のなかではおなじみだが、他の仕事はよく知らない。
古川日出男も数作しか読んだことがない。というか挫折したことのほうが多い、そんな作家。
で、この2人の対談の中で注目すべき発言あり。
古川氏にとって、小説を書いてて一番重要なのはカッコイイかカッコワルイか、だそうだ。
当然古川氏はカッコイイを目指しているんだろうと読んだが、これで、合点した。私が古川日出男をカッコワルイと感じてる理由が分かった。
古川というひとはロックンロールにも言及する人らしいが(題名的には)、彼は"かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう"という言葉を知らないのだろうか。出典は早川義夫。私はこの言葉を宝物のように思う。
「カッコイイ」ロックンロールというとキャロルだのクールスだのを私は思い浮かべるが、あんなものは実はロックンロールの対極にあるものなのだ。
ロックンロールというのはカッコよさの否定から始まっているのだ。ローリングストーンズを見れば分かるだろう。彼らがどんなに格好悪かったか、を。ボサボサの長髪、着崩したそしてメンバーの趣味でバラバラな衣装、これらは、今振り返ればこそ普通に格好よいロッカーのように見えるが、それは私たちが慣らされてしまっただけであって、当時はみっともないものだったのだ。
そしてやってる音楽もブルースという、敗残者のための音楽をやっていたわけで、いかに彼らが格好よさに背を向けてたかが分かるというもの。
パンクもそうだ。ヘビメタだのプログレだのでミュージッシャンが崇拝され、ロック=格好よい=ヒロイックになっていくと、楽器がロクに引けないでいいんだぜ、と言い出す人たちが出てきて、ああいうのこそロックンロールなわけだ。
古川日出男という人は、日本の小説家界においてちょっとした異色かもという部分があり一概に否定できないが、カッコイイものを目指して、じつはその事がかっこわるさを倍化させているビーズだとかああいうのに近いものを感じる。ビーズだのグレイだのってロックンロールじゃないよ。