『キャラクターズ』東浩紀+桜坂洋

ところどころ虚実入り乱れた感じで、他の作家や評論家、編集者?の名前まで出てきて面白く読める箇所があったので、[面白い]とはしてみたが、じつは微妙。
どこまで本当かは分からないが、二人で交互に1章づつ書き、またそれぞれが勝手に物語を作り出してる風なので、ちょっと混乱して読みにくい部分があるし、内容の半分ぐらいはそのストーリーよりもむしろ文学や小説に関する観念的な話が占めていて、それも読み辛さに貢献している。
冒頭で佐藤友哉三島賞受賞に触れてからスタートするあたり、動機としてはマジで、ライトノベルが純文学に回帰していく事、あるいは純文学を補完していく事に対する抵抗なのかもしれない。たしかに高橋源一郎との対談で、大人しく高橋の話に合わせている佐藤友哉なんかみてると、おいおい、と思ってしまうのかもしれない。ライトノベルなどほとんど読まないし、あんなの読むくらいだったら、トーマスマンとかあのへんの古典でも読むわ、っていう人からみると、やはりどうでもいいかな、という気はしてしまうのだが。
それでも、おそらく東の考え方の反映だと思うが、私小説のバリエーションに過ぎない現代の純文学の単一性から、虚構と自由を取り戻せ、という(ほんとにそうなのか自信がないが)アジテーションは、説得力のあるものだった。ゆえに欲をいえば、この作品も虚構として、朝日新聞社に突っ込むまでのくだりとか、もう少し緊迫感があるというか直線的な書き方でも良かったような気もする。作品をもって、つまりそういう作品を書くことが批評であるというやり方にもう少し傾いても良かったというか。批評の内容そのものを提示するという方法で、しかもその部分が多く、またそれぞれの筆者により逡巡や決意が繰り返されるため、小説作品としてどうしても退屈してしまうのだ。
作品中で社会批評をダイレクトに行う小説としては、奥泉光の「蛇を殺す夜」という作品があるが、あれは面白かった。隅々まで考え・記述が統一されていたという部分が大きかったからではないだろうか。今回のような小説は、筋を書ける作家である(らしい)桜坂が(東のアドバイスなど受けつつ)ひとりで作品としたほうが良かったのかもしれないが、そのへんは桜坂を良く知らないので余り言えない。