水牛健太郎氏の高橋源一郎批判

まだ連載モノしか読んでないんだけど、諏訪インタビューの他に今月文芸誌で目に付いたのが、これ。
内容は、とても分かりやすい高橋批判であって、こうして読んでみると至極真っ当な批判であって、きっとあまりにも真っ当なもんだから誰も高橋に対してものを言わなかったのかもしれない。
というふうに書くと、そんな当たり前のような事をわざわざ生真面目にやっている水牛氏のことを貶めてるみたいだけど、水牛氏は前から一定の評価をもって高橋のことをフォローしてきた人だから、そういう流れでもって書いているのではないか。
それにしても今回の水牛氏の評論は、さすが商業誌にのる評論家だなー、と思った。いつも福田なんたらとかヒネった評論家のうねうねしたものばかり読んでると、新鮮である。
とくに、なぜ野球評論家は野球経験者ばかりで、芸術や政治などは違うのか、という比較は分かりやすかった。野球は観客がいなくても成り立つが云々・・・たしかに!
そうなんだよなー、読まれない限り、書く人なんていないと思う。小説は野球と違って観客が、受け手がいて成り立っている。
それにまた、くそ面白くないものなんか読みたくないし、面白いものを書くには相当な技量が必要で、ということは書ける者は一部の者に限られてしまう。書き手と読み手がある程度分かれてしまうのは、こりゃ不可避だろう。
そこで、消費者として商品を選択できるのと並行的に、読者は小説家の意図したとおりには読まない(読めない)ことで、隷属的ではなく主体的に小説と関わるのだ。そして、読者としての読みへ先行するものとして評論がそこに現れる。
この成り立ちが疑問だというなら、ずっと同人誌で作品でも発表してればいいんじゃないかな。案外、今の高橋源一郎の作品の面白さの程度にはピッタリかもしれない。