『ある言語からの報告』山田 茂

非リアリズム系の小説を面白いとするのは、あまり無いはずだけど、これは面白かった。
8月号に載った読み切り4作品のなかでは一番面白いのではないか。ってまだ2作品しか読んでないのだけど。
とくに文体に奇特な意匠を用いているわけではなく、むしろ平板と思われる特徴の無さなのに、その世界、とくに人間関係の描き方に、他では感ずることのできない独特のものを感じた。なんなんだろう。変なテイストをもった作品だなあ、というのがまず漠然と浮かんだこと。


基本的にモノローグの多い一人称小説で、それが非リアリズムという事になると、全てが脳内妄想みたいになって、どうでもいい感じの内容になりがちなんだけど、それがない。人物にしてもモノにしても、異物である感が非常に感じられる。鍵を忘れたときに来る大工にしても、道を尋ねて分からない人にしても、とくに小説の筋に関係のないぶん、ゴロンと提示され、意味も無くただそこにあるだけ、という感じ。この意味の無さと、存在の確かさみたいなものは、まさしくわれわれのいる現実に相似だと思う。
小説の題名からすると観念的な内容かなと思いがちだが、そういう所はいちごホームという言語に不安を持つ人たちが集まる対話集会での問答くらいしかない。そこも、読者を辟易するほど長くは描かれない。
いちばん秀逸なのは、この主人公と主人公が勤める会社の上司、同僚たちとのやりとり。
彼らは、主人公がおかしくなってもいきなり邪険にしたり怒ったりするのではなく、丁寧に、そして徐々に主人公を疎外していく。こんにちの会社人の有り様、普段いっけん仲の良い従業員同士(=カンパニー)には見えるが、その実上司にしても同僚にしても微妙な距離を常に残しているという有様が、非常によく出ていると思った。最初からそういう距離が厳然とあるからこそ、こういう対応が生まれるのではないか。
だいぶもうおかしくなりはじめているのを分かっていながら、そういう主人公を伴って得意先の社長と会食したりする。主人公は結局またおかしくなってその会食から抜け出して戻れなくなるのだが、上司は怒らない。体調悪いだろうから帰れ、というだけ。リアリズム小説ならちょっと無理があるという事になるのかもしれないけど、やたらリアルな感じがするのだ。
会食で思い出したが、専務も伴ってとサラっと書いておきながら、あとでそれが女性だったりする意外さなんかも、ちょっと面白くて、そういう箇所があることも読者を退屈させないのに役立っている。さきほど、文体には拘らない小説というふうに書いたが、そうみえながら言葉への拘りは強い。


また主人公の恋愛の行方もこの小説のひとつの核なのだが、ここまで一方が精神的におかしくならなくても、男女の別れの様相としてはこの小説と似たようなすれちがいは現実に結構あるはずで、そのすれちがいの悲しさの感覚を非常によく捉えている。例えば「忙しそう」なのが現実に忙しいと同時に、それ以上の意味を帯びさせるでもなく帯びてしまっているところなど。
そういう部分を中心にして、一人の男が女性との関係を喪失していく恋愛小説として読んでも、ふたりの距離感の出し方が非常にいいから、確実に伝わってくるものがある。