『ノース・ショア』小林エリカ

全く知らない作家で、しかも改行と空白の多い詩的なスタイルの小説だったので、一見これはひょっとしてシュールで断片的なイメージを積み上げる類の小説?と思い、読むのは最後に回す事になった。
そういう小説は文字数が少ないから読みやすいかというと、じつは逆で、常に言葉を吟味しイメージを喚起することが求められるから、却って読みにくかったりするのだ。


押し出しが弱いというか、引っ込み思案な少女が大人になっていくまで、という、まあ、女流純文学には非常にありがちな内容ではある。
そういえば、純文学の女性主人公といえば、極端に突っ張っているか、極端に引っ込み思案か、というのが多い。
この小説でいえば、幼い頃のプールの記憶を、30歳前後になるまで引きずっているのだから、ちょっとありえない位、内向きである。
それに比べて、男性作家が男性を主人公にすると、極端に特徴の無い人物が主人公で在ったりする。
周囲への違和が表現に向かわせるのだとすれば、男の場合は極端に普通であることが違和となり、女性の場合は極端に変わっていることが違和となっている。そういう事なんだろうか。


ともあれ、この小説は、たとえば『痺れ』よりは物事が起る。幼い頃の淡い想いから始まり、成年後しばらくしての再会、ちょっとした失望と新たな出会い、と。それだけで読み進められる。やっぱ、この先どうなるのか、という気分が欲しいのだ。
途中主人公がちょっと淡く想っていた人物が実はゲイである、という事が明らかになったとき、ウームとは思った。
相手はゲイだ、自分はフラれたわけではない、傷つくの回避、自分ナデナデナルシズム。そんなパターンはちょっと遠慮したかったからである。
とは言うものの、そのシーンに至る文章を読んでいて、描写力の確かさや文章構成の工夫の面白さは充分伝わっていたので、もしそんな話で終わっても不満とまでは行かなかったと思う。なにより人物描写が的確で、過不足がなく、登場人物が小説のキャラクターとしてよく生きている感じがする。姉は小言しか言わないキャラで、友人は友達が異常に多いキャラで、というふうに。かなり力のある人なのではないか、と感じた。とくに良かったのは終盤に主人公に絡んでくる女性の目の存在感だろうか。
また、風景描写にかんしても、光や風のつねに感じ取りながら読み進めることができるくらいで、けれどもただのキレイな物語では終わっていない。この収まりの微妙なラストも、良かったと思う。


誉めてばかりなのに、[面白い!!]とはなっていないのは、やはりこの空白の多い形式と、それと、どちらかというとリアリズム系が好きな者としては少しキレイ過ぎるかなあ、というのがある。