川村二郎+豊崎由美+絲山秋子による創作合評

今月号の合評は、中村文則村田沙耶香を取り上げていて、両作品ともに私も既に読んでいたので興味深かった。
絲山秋子が中村作品を褒め上げ、川村二郎が苦言を呈していて、いっぽう、村田作品は絲山秋子が全否定、川村二郎がまあ面白いという豊崎を挟んで真っ二つ評価。


しかし、絲山秋子程度のひとに、紙くずなんて言われたくないよなあ。
私は絲山作品は紙くずとは思わないけれども、それでも、村田沙耶香のほうが面白かったよ。
ついでにいうと中村作品よりもね。
村田沙耶香中村文則絲山秋子、という事。


村田作品の良いところは、分からないものを言葉によって収束させていないところ。
中村にしろ絲山にしろ、登場人物が分かりやす過ぎるんだよ。それは他人が分かりやすいという事と一緒で、他人なんてそんなに簡単に理解できないんだから、極端にいえば、中村や絲山なんてのは、いかにも純文学っぽい娯楽小説なのさ。
純文学が好きという層に向けての娯楽。


で、その娯楽があまり楽しくない。
純文学っぽい暗さ、つまらなさ、クドさを求める層に向けての娯楽として成り立っているから。
中村作品にむけて、いっそもっと推理小説っぽくしてしまった方が良い、というのは、だから正しい指摘なんだと思う。
あんな作品で我々の意識が深化することなんてほとんど無いんだから、いっそのこと、暗い内省を省いて娯楽として成り立たせてしまったほうが健全なんだよね。
中村文則には、その技量がじゅうぶんあると思うし。


絲山の、こんなんで商売するな、という心意気は正しいものを含んでいると思う。
ただ、売れて、なおかつ文学的評価も得るなんてのは、それこそ村上春樹くらいしか出来ない芸当だろう。
村田沙耶香などは、まだ文学的評価すら、なんとも言えない段階ではないのか?
二兎を得ようとして、絲山のようなどっちつかずの中途半端な作品を量産するようになるよりは今のままでいいんじゃないか、と思えるのだけれど。
川村や豊崎に、肯定とはいかないまでも、見所はあるんじゃないか程度まで言われるだけで、なかば成功だろう。


しかしつくづく、中村文則絲山秋子が誉めるってのは面白かったな。
たとえば自分の好きな作家をキライな作家が絶賛するのは良い気持ちがしなかったりするけど、今回の鼎談はストレートで、なかなか気持ちが良かった。