『ハイドラ』金原ひとみ

いや、もう少しで面白い!!評価にするところだった。
でもそうしてしまうと、容姿に関する主観が作用してないか、とか言われてしまいそうで・・・。
確かに、金原ひとみ、カワイイと思ってます。
ちなみに前から私、川上弘美については嫌いキライ言ってますが、容姿も嫌いです(いかにも大人しめな文学少女タイプはダメなので)。
でも、評価には影響していません。だいいち文学を評価するにあたって作者の容姿なんて関係あるわけないじゃないですか。
影響していない筈です。いや、筈じゃなくって、本当に影響してません。


真面目な話、でもこの『ハイドラ』は非常によく書けた小説ではないだろうか。
よくここまで内面をえぐった描写ができるな、と驚いたこともしばしばあったことを告白しなきゃならない。
情景の描写も上手い。登場人物の心理を投影しつつ、投影しすぎることが無く描かれている。
ドキリとさせる決め台詞的な鋭さをもつ文章もあるし、なるほどこれをこんなふうに表現するのかという文章もある。


話としては、拒食症の女性モデルとロック歌手とカメラマンの三角関係のはなし。
主人公の拒食ぶりが詳細に描かれる部分もあったりして、まあ、宮本輝さんが芥川賞のときに「またその手の話・・・」と言ったらしいが、その手の話では、ある。
こういうセンセーショナルなテーマを持ってくるというのは、金原ひとみが好きと公言する村上龍山田詠美っぽく、その手の小説はあまり読んでこなかったし、好きではないかもしれない。
しかも、この間、中村文則作品に対して、こんなイカニモなテーマで現代に迫ろうとするのは安直なんじゃないの、みたいな苦言を呈した者としては、この金原作品を誉めてしまうと、まったく手のひらを返すというやつである。


半分は手のひらを返すものであることは認めつつも、やはり、中村文則金原ひとみに一番感じるのは、才能の差ということだ。
中村は、ひたすら主人公の内面について記述という印象で、ウンザリしてしまう。一生懸命に、沢山の言葉を使い、分からないものをなんとか説明しようとしている。
いっぽう金原は、シンプルだ。内面の記述は最小限にとどめ、行動の描写とのバランスを取る。分からないものは行動によって、説明するのではなく示すようにする。
だから、モデルだのカメラマンだの、小説家、ライブハウス経営者など、あまり縁のない人たちを描いていても、読み進むことができるのだ。
これができるのは、才能の問題なんじゃないか、と思うのだがどうだろうか。


キャラクターの造形も総じて見れば、よく出来ているというべきだろう。
とくにカメラマンの男性はリアルだ。ほとんどセリフらしいものも持たせずに、存在感を見事に際立たせている。
ただ、ライブハウス経営者の物静かな青年はいくらか格好良すぎかもしれないし、ロック歌手は、単純であることがこの小説のなかでの存在理由としても、それぞれいくらかの綻びが欲しい気はした。
破綻というほどのものではなく、ちょっとした綻びみたいなもの。
クルマのボディーでいえば、傷というほどのものではなく、ちょっとした光沢の薄れみたいなもの。