『なんとなく、リベラル』小谷野敦

聞いたことある題名だな、と思ったら、一般人があまり知らなくて良いような事まで注をつけたりするところまで、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』のパロディ。
田中康夫は相当昔に読んで、記憶の彼方なので内容までがパロディなのかは分からないんだけど。
で、驚いてしまうのは、女性が主人公なところだ。
ここまでやる人だったんだ…。
前作は、本人と境遇がかなり似ているであろう男が主人公で、そういうワタクシ小説的なものしか書けないと思っていたのが、とんだ間違いである。
そしてまたまた、小谷野氏本人をなぞったであろう人物が登場するのだが、この人物の内面は描かれずあくまで客観視された第三者的なもの。しかも彼は、この主人公の女性とそりが合わなかったりする。


つまり自分を第三者の、あるいは敵ともいえる立場におき、自分と合わなかった人物を主人公にしているのだ。
だからといって、その主人公を悪意をもって描いてるわけではない。
『なんとなく、リベラル』という題名にみられるように(この主人公女性もリベラリスト)、皮肉っぽくなってはいるが、悪意や冷たさを感じるどころか、どこか温かみのあるシンパシーすら感じさせる描き方なのだ。
でなければ、この主人公がプロポーズされる場面で、あれほどキュートに描けるもんではないだろう、と思ってしまう。
(しかし、この小説家的うまさは何だ?)
こっぴどく振られてしまい相手にいっときの悪意は感じたとしても、例え片思いとはいえ、好きになった側としてはどこかしらに愛情の一片が残ってしまう・・・そんな事を考えてしまった。
こんな評価はこの小説の評価としてはおかしいのかもしれないが、がしかし、前作とはガラリ一変。過去をまったくうまく消化しつつあるという感じだ。


ひとつ秀逸だったのは、主人公女性が最愛の夫の助言よりも、9.11テロとその後のアメリカの蛮行で、精神の回復がなされるところだ。
どうしてこうも、政治的事象というのは、ある場合において人間を虜にしてしまうのだろう。